おかしな表現だけれど、ずっと孤独で死にそうだった。
職場でも家族の中でもプライベートでも、これまで築いてきたあらゆる関係においても、どこにも居場所がなく、この世界でひとりぼっちだという知覚からぬけだせない。
酔っぱらって完全に我を忘れてしまわなければやってらいれないほどに。
カフェでデイヴィッドのこの箇所にきたら、本当にもうどうしようもなく涙が止まらなかった。
これからも助けになるだろう。
『覚醒へのレッスン』
P261-263
60. 死への願望を永遠に手放す
おかしな表現だけれど、ずっと孤独で死にそうだった。
職場でも家族の中でもプライベートでも、これまで築いてきたあらゆる関係においても、どこにも居場所がなく、この世界でひとりぼっちだという知覚からぬけだせない。
酔っぱらって完全に我を忘れてしまわなければやってらいれないほどに。
カフェでデイヴィッドのこの箇所にきたら、本当にもうどうしようもなく涙が止まらなかった。
これからも助けになるだろう。
『覚醒へのレッスン』
P261-263
60. 死への願望を永遠に手放す
8.
自分では理解していないものを、喜んで受け入れなさい。
その関係の目的がその中で働いてそれを神聖なものとしていく様を知覚することで、それがあなたに自ずと説明されていくに任せなさい。
その関係の「失敗」を兄弟のせいにして責めたくなる機会をあなたは何度も見出すだろう。
なぜなら、その関係は時として、何の目的もないように見えるからである。
目的がなくなったような感覚があなたにつきまとい、自分がかつて満足を追求し、満足を見出したと思ったときのことをすべて思い出させるだろう。
そのときにあなたが見つけたのは本当は惨めさだったことを、今になって、忘れてはならない。
そして、衰えつつある自我に生気を吹き込んではならない。
あなたの関係は引き裂かれたのではない。
それは救われたのである。
Ⅳ「赦しと神聖な関係」より
ひとつの転機が訪れている気がして仕方がない。
具体的に何かが始動しているわけでもなく、目に見える形で変化があるわけでもないけれど。
仕事において、少し前よりも自由に要領よくこなせるようになったり、凝り固まった感じでなくコミュニケーションをとることも少しずつできるようになった。
それと同時に、今の仕事や職場がとても退屈に感じてしまったり、枠組みに収まらない自分がいて、奔放に飛び出したりチャレンジしたくて仕方がない感じがつづいている。
毎日嫌だと感じたり、面倒くさかったり、一日中イライラしている日ももちろんあるけれど。
こんな自分の気持ちを持てあましていて、恐くて不安で、でも、恐怖や不安を超えてしまう何かもあって。
もうどうしていいのかわからない。
湧き起こってくる感情は、否定したり押しのけたりしないことがいちばんです。
感情を取り消して手放すには、それらを意識へ浮上させるのが大事だからです(レッスン333参照)。
感情が意識に上ると、その感情が動揺や不快感であっても、贈り物のように感じられるでしょう。
心の変化、つまり奇跡を求める働きとして見られるようになるからです。
感情は、いかなるときも、その人がどちらの声を聞いているかを示します。
したがって、それらは、心に耳を傾けるための規律の中で重要な機能を果たしています。
心とは、決断そのものです。
決断は、あなたが信じているあらゆることに基づいた結論であるということを覚えておいてください。
無意識の心は間違った信念です。
それが完全に取り消されるまで、心の平和と苛立ちの狭間で、動揺を感じるでしょう。
ですから、信じているすべてを疑問視することが、コースやあらゆる真の精神修養の趣旨です。
過ちを理解し分析しようとすることより、疑問視することがより重要なのは確かです。
エゴはただゆるされて変容するだけなので、決して本当に理解されることはないからてます。
『覚醒へのレッスン』P151より抜粋
※ レッスン333 「ここでは赦しが葛藤という夢を終わらせます。」
http://lesson.spiritual-counseling.info/acim/333