あまりにも溜め込みすぎ、赦しやコースのことを考えられなくなってしまったこの2ヶ月。
神や聖霊というものも現実味がなく、仕事で降りかかりつづける問題や苛立ちに対してなんの役にもたたない!と思えてしまう日々。
それでももう一度、自分の内側にある確かさや揺るぎなさをどうしても知りたいのだと相談してみた。
絶望を通らない限りそれを知ることはできないけれど、今はこの世界に対して諦めきれていないそうだ。
「なにをおいてもわたしは観たい」などベースとなるものをひたすら使いつづけ、抵抗や葛藤があってもそれを見ながらそれでも観たい・・・とやりつづけてみるんだよ、と。
今夜はふと戸隠神社を思いだし、無性にいきたくなり、少なくとも心だけは合わせようとしてみた。
自ら閉ざしてしまった心をもう一度開きたい、わたしは一歩退きますとひたすら繰り返す。
ひたすら繰り返しながら、仕事をやめたいとか来週仕事にいくのが怖いとか怒りとか思考があふれでてくるけれど、一点の祈りをする中では、どうしてもそれらは通りすぎて捨て去らなければいけなかった。
どちらかを選ばなければいけない。
どちらかしか選ぶことはできない。
心はまだ固く閉じてしまったまま。
今回、この岩戸を開いてもらうにはもう自分自身の力だけでは無理だ。
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