2016年2月14日日曜日

恐れと原因

VI. Fear and Conflict

T-2.VI.1.

Being afraid seems to be involuntary; something beyond your own control.

Yet I have said already that only constructive acts should be involuntary.

My control can take over everything that does not matter, while my guidance can direct everything that does, if you so choose.

Fear cannot be controlled by me, but it can be self-controlled.

Fear prevents me from giving you my control.

The presence of fear shows that you have raised body thoughts to the level of the mind.

This removes them from my control, and makes you feel personally responsible for them.

This is an obvious confusion of levels.

奇跡講座 テキスト編(中央アート出版)より

第二章Ⅵ 『恐れと葛藤』

1.
恐れるということは意図せずに起こるように思える。

まるで自分には制御できない何かのようである。

だが、私はすでに、建設的行為のみが意図せずに起こるべきだと述べた。

もしあなたがそのように選択するなら、重要でないすべてのことについては、私が制御を引き受けることができ、重要なすべてのことは、私が指導することができる。

恐れは私が制御することはできないが、あなたが自分で制御することは可能である。

恐れは、私の制御をあなたに与えるのを妨げる。

恐れがあるということは、あなたが肉体にまつわる想念を心のレベルにまで引き上げてしまったことを示す。

これが、そうした想念を私の制御下から取り去り、あなた個人にそれらの責任があると感じさせる。

これが明白なレベルの混同である。


キリストは、心を向けてくれれば身体のレベルのことはすべて教えてあげようと言っている。

今のわたしは、恐れは反射的に起こってしまうし、恐いと感じる原因は外側にある、と信じ込んでいる。

さらには、そう思ってしまう自我に対して、それはいけないことだと自分を裁き、認めてあげなかった。

確かにここ最近の仕事でも、同じような案件や人々が連続し、上司のアドバイス通りに「否定せずに認める」ところから話をもっていけたものはすべて穏やかに終息していった。

キリストは、わたしが自分の選択で違う選択をしたいと思うまで待っていてくれる。

選択したときには全部教えてあげるからねとも言ってくれている。

頭ごなしに自我を否定して無理やり行動を変えようとするのではなく、そうした抵抗や恐れの気持ちを否定せずに受けとめることからはじめよう。

仕事での大きな変化、しかも自我の言い分としてはそんなことは絶対に無理!と思っている。

数ヶ月前、コースの仲間で同じような境遇の人を目にし、避ければ避けるほど恐れが大きくなるのを見せてもらっていた。

今のわたしに必要なことは、異動先の仕事を心配することでもなく、次の仕事に逃げなきゃとあたふたすることでもなく、心のレベル、最初の一点を変えることだけに集中する必要がある。

思いださせてくれてありがとう。

どうかわたし自身が一歩退き、この変化に対して、心から善きこと(恐れなく心からの喜びと共にあること)が起こったと思えるよう心をあなたの方へもっていけますように。

アーメン

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