『奇跡講座入門 講話とQ&A(ケン・ワプニック/著)』より抜粋
こうして、私たちは自分の罪について、「それは自分の中にはない、あなたの中にある」と言うわけです。
その次に、私たちは自分自身と罪との間に距離を置きます。
誰も、自分の罪深さの近くにはいたくないので、それを私たちの中から取り出して、誰か別の人の上に置き、その後、その人を私たちの人生から追い出します。
これには二つのやり方があります。
一つは、その別な人から、物理的に離れることです。
もう一つは、心理的レベルでそれを行うことです。
心理的な分離は、実は最も破壊的であると同時に、最も感知しにくいものです。
私たちが他人に罪をなすりつけたあと、彼らから自分自身を引き離す方法は、彼らを攻撃するか、彼らに対して怒るかのどちらかです。
怒りの表現というのは、常に、自分の罪悪感の投影を正当化しようとする試みです。
それが軽い苛立ちの場合でも、激怒の場合でも、違いはなく、どちらも同じものです。(W-pⅠ.21.2:3-5)
何が私たちの怒りの原因のように見えているかということは関係ありません。
私たちの中の罪悪感を外へ投影せずにはいられないというこの必要こそが、すべての怒りの根本原因です。
これは、他の人々の発言や行動にあなたが常に賛同しなければいけないということではありませんが、あなたがそれらに対し怒りや裁きや批判などといった個人的な反応をするとしたら、その理由は、その瞬間にあなたはその相手の中に、あなた自身が自分の中で否認した何かを見たからにほかなりません。
言い換えると、あなたは自分の罪と罪悪感を相手に投影していて、その人の中で自分の罪を攻撃するのです。
しかしそのとき、あなたはもう自分の罪を自分自身の中で攻撃してはいません。
相手の中でそれを攻撃していて、その人を自分からできる限り遠ざけておきたいと思っています。
でもあなたが本当に望んでいるのは、自分の罪を自分からできる限り遠ざけておきたいということなのです。
(中略)
つまり、私たちの罪深さの源は、外ではなく内にある、ということです。
ところが、投影は、私たちの罪を外に見せて、私たちに問題を外で解決させようとします。
ですから、問題は内にあるのだということが、私たちには全くわかりません。
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