とても心細いとき、外側に答えや救いを求めようとしてしまう。
なにをおいてもという強い意志力をもちつづけるためのエネルギーが枯渇してしまっている今、今一歩、真実に手を伸ばすことが難しく、幾度も幾度も揺らいでしまう。
そんなときにはどうしても物理的に助けてくれる人や気晴らしに頼りたくなってしまう。
でも、そこにはなにもない。
それをしたくなっている自分の心はなにを感じ、なにを信じているのか。
なにがあれば満たされると感じているのか。
仕事のストレスから一時的に解放されても、つきまとう空しさは消えず、平穏ではない。
そして、拠り所となるものは、八百富神社で見せてもらったように、外側がいくら嵐のように強風でも風ひとつ吹かない影響されない内側の圧倒的平穏さ。
そこが本当にくつろげるホーム。
まったくなにも感じることも信じることができなくても、ただひたすらにそんな自分を聖霊のまなざしを借りて見守り、待ちつづけること。
今日はもう一度そんなまなざしを自分に向けたい、そんなことを感じてる。
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