2016年8月1日月曜日

『赦しが幸せへの鍵である』

奇跡講座 ワークブック編
レッスン122より抜粋

4.
赦そうとしない心は間違いを見ず、罪だけを見る。

それは見えぬ目で世界を眺め、自分自身による投影が浮かび上がり、自分という哀れな生命(いのち)の真似事(パロディー)を攻撃するのを見て、悲鳴を上げる。

生きたいと思いながらも、死んだほうがよいと願う。

赦しを欲しているが、その望みはないと見ている。

逃げ去りたいのに、あらゆるところに罪人を見ているので、逃げるすべもない。

5.
赦そうとしない心は絶望しており、さらなる絶望以外の何かをもたらす未来の見通しをもたない。

それなのに、自分がこの世界に下した裁きは覆せないものと見なしており、自分で自分をこの絶望に追い込んだということがわからない。

自分の目に見えているものがすべて、その裁きが正しいことを証言するので、自分が変わることはできないと考える。

自分は知っていると思っているので、尋ねることはしない。

自分が正しいと思っているので、疑問をもたない。

(中略)

9.
赦そうとしない心は、与えることと受けとることが同じであることを信じない。

それでも私たちは今日、あなたが敵だと思っている人と友だと見なしている人に対する赦しの練習を通して、与えることと受け取ることがひとつであることを学ぼうと努める。

そして、その両方を同じものと見ることができるようになるにつれ、あなたはこのレッスンをあなた自身にまであてはめるようになり、彼らの脱出にはあなたの脱出も含まれていたことがわかるようになるだろう。