「原因や理由、目的や意味がなければならない。」
両親からも受け継いでいる強固な信念。
返報性や自由さ(自分の行動のレベルだけでなく、人としてあふれでるものとしても)とも関係する。
人生、仕事、人間関係、お金の使い道。
両親を見て、その生き方、考え方、在り方は本当に嫌だと思ったはずなのに、結局同じ生き方を選択してしまっている。
なにかに時間やお金を使うことには意味と結果がなければならないという生き方。
旅行でも物を購入することでも何かに参加することでも人と会うことでも。
失敗があってはいけない。
そもそも意味はないのに、人生に意味を見いだせず、仕事も向かないと感じ、前向きに責任をもって能動的に生きられないループに入ってしまう中で、目に見えないものや一見すると結果が見えない(あるいは自分が求めているものと相いれない)ものに喜んで時間やお金を使えなくなっている自分がいた。
あらゆることにおいて、意味や目的や理由が必要で、それらがあるべきだと信じ、選択し、疑えず、要求してしまっている自分がいた。
その信念は色んな人の誠意を踏みにじり、傷つけたとも思う。
目の前にあふれ、自分の周りにあふれている宝物に気づけない、そんな風になってしまった自分がとても悲しい。
自我としては少しずつでも積み上げてきたと思ってきたものを、もう一度全部捨て、ゼロからスタートしなければいけないようだ。
すごく恐くて、できるかもわからないけれど。
そして、コースを含めて様々な人が表現する非二元というものと、今を生きるということも混同してしまっている自分もいる。
これを超えられるだろうか。
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