鹿島神宮にいく機会があった。
奥宮への道を歩きながら、目覚めに対してどこか不安に感じたり、行き詰まりという錯覚を感じているのかもしれないなぁって思った。
神社を訪れることはなにかを祈りにいくためというよりも、思い出すためなのかもしれない。
神域内で何時間かを過ごす中、なにをするわけでもなくリラックスさせてもらう。
その無目的な時間の中で、心が静まっていき、本来の真の自己へ問いを発し、還らせてもらう、そんな感じ。
心をあわせること。
だから、神域という神の懐にお邪魔させてもらい、そこで過ごす時間が好きなのかも。
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