火傷をしてから特に、ものすごく揺らいでいる自分、静かな時間をもとうもしない自分がいる。
これまでは、なんとかそこから脱け出さなくちゃ、自我にいる自分はだめだと裁いてきたと思う。
でも、今はちょっとだけ違っていて、真の自己(あるいは聖霊)に信をおき、もがいている自分を見ながら待っている感じ。
ちゃんと戻れるって安心している部分が今までと違うのかも。
真の自己(神聖性)を信頼して待つことと、目の前の人の神聖性を信頼して、ただ黙って待つことは同じなのかもしれない。
目の前に差しだされた人の神聖性を見ることや信頼することがわからないと問いを発していて、今、答えを見つけかけてる気がする。
聖霊はいつも例外なく答えてくれるみたい。
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