言葉を超えた叡智にふれたとき、その体験は言葉では決してわかちあえない。
言葉にした途端、各々の分離した視点からの解釈が入ってしまうから。
あるいは、自我の概念においては、傲慢に聞こえてしまうこともあるだろう。
本当は、自我の概念こそ傲慢なのだけど。
誰かになにかを伝えるためでなく、ただ自分の素直な気持ちと体験のおぼえがき。
ただひたすらに誠実に。
自分の中の光を見ようとしつづけること。
目の前の相手を通して、本当のわたしを思いださせてもらうこと。
与えることと受けとることはひとつ。
そこにはきっと深い畏敬の念しかないだろう。
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