I AM THAT
ニサルガダッタ・マハラジとの対話 より抜粋 P276
質問者:
至高の実在(パラブラフマン)は、私たちすべてに内在しているかもしれません。
しかし、それが私たちにとって何になるというのでしょうか?
マハラジ:
あなたはあたかも「私はものをしまう場所が必要だ。だが、空間が何の役に立つというのだろうか?」あるいは、「私はミルクか紅茶、コーヒーかソーダがほしい。だが、水は何の役にも立たない」と言っている人のようだ。
至高の実在がすべてを可能にしているということが、あなたにはわからないだろうか?
だが、もしそれが何の役に立つのかときくならば、「何の役にも立たない」と言わねばならない。
日々の生活においては、実在を知る人には何の利点もないのだ。
むしろ、彼は不利な状態にあると言えよう。
欲望と恐れから自由な彼は、自分自身を守ろうとしないからだ。
利益という概念自体が、彼にとっては異質なものなのだ。
彼は増加や増大を嫌う。
彼の人生とは、絶え間なく己から剥ぎ取り、分かちあい、与えることだ。
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