2016年1月16日土曜日

仕事をしながら自我が訊きたがること

I AM THAT
ニサルガダッタ・マハラジとの対話 より抜粋 P276

質問者:
至高の実在(パラブラフマン)は、私たちすべてに内在しているかもしれません。

しかし、それが私たちにとって何になるというのでしょうか?

マハラジ:
あなたはあたかも「私はものをしまう場所が必要だ。だが、空間が何の役に立つというのだろうか?」あるいは、「私はミルクか紅茶、コーヒーかソーダがほしい。だが、水は何の役にも立たない」と言っている人のようだ。

至高の実在がすべてを可能にしているということが、あなたにはわからないだろうか?

だが、もしそれが何の役に立つのかときくならば、「何の役にも立たない」と言わねばならない。

日々の生活においては、実在を知る人には何の利点もないのだ。

むしろ、彼は不利な状態にあると言えよう。

欲望と恐れから自由な彼は、自分自身を守ろうとしないからだ。

利益という概念自体が、彼にとっては異質なものなのだ。

彼は増加や増大を嫌う。

彼の人生とは、絶え間なく己から剥ぎ取り、分かちあい、与えることだ。

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