目の前の問題を解決するのではなく、根本的な部分(根っこ)をどうにかしたいと模索して5年少々。
奇跡のコースと出会ってからはちょうど2年半。
その間、確かに予測不能な助けや導き、いっぱいあった。
ドン底を感じるたび、色んな形で手助けが与えられてきた。
それでも、今、どこかで心が折れてしまい、真実を求める自分に冷めた視線しか送れず、助けが与えられることにも確信がもてない。
糸がぷつりと切れてしまい、身体はエネルギーを取り戻しても、心は病気のまま。
コースの言葉も素通りしてしまうし、そこに対して、自我と自分は別なものであり、自我の声には耳を傾けないという全面的な意志力をもとうとすることが難しい。
でもね、もう一度、もう一度だけ、テキストや自我というものに向き合ってみたらどうだろう。
言葉が入らなくても、取り組む自分を馬鹿にしてても、状況への自分の感じ方が変わらなくても、もう一度だけ、朝のテキストの時間だけは取り組んでみてはどうだろうか。
きっと、どこかで諦めきれていないから、悶々としてしまう。
祈れなくても、信じられなくても、感謝できなくても、手を伸ばそうとできなくても、ただテキストとふれてみる時間だけは持ちつづけることに、もう一度だけ挑戦してみよう。
本当の自分が求めているものが、期待はずれでこんなものかと思ってしまうようなものなのではないかとどこかで恐れている。
それでも、もう一度だけチャレンジだ。
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