2016年1月18日月曜日

信頼と本当の愛

奇跡のコース ワークブック編
Lesson159より

"I give the miracles I have received."

8.
Christ’s vision is the holy ground in which the lilies of forgiveness set their roots.

This is their home.

They can be brought from here back to the world, but they can never grow in its unnourishing and shallow soil.

They need the light and warmth and kindly care Christ’s charity provides.

They need the love with which He looks on them.

And they become His messengers, who give as they received.

『私は自分が受け取った奇跡を与える。』

キリストの心眼(ヴィジョン)は、赦しの百合の花が根を張る神聖な大地である。

ここがそれらの故郷である。

その百合の花をそこから世界に持ち帰ることはできるが、それらはそのやせた浅い土壌では決して育たない。

光と温かさと、キリストの慈愛がもたらす心のこもった世話が必要である。

キリストのまなざしがもつ愛が必要である。

そしてそれらの花はキリストの使者となり、受け取った通りに与える者となる。

(奇跡講座 中央アート出版より)

ある人がこんな風に話してくれた。

わたしたちは、必要なときに必要なものをさしだして、あとは信頼して見守るの、と。

それは、さしだした花が根づいて咲く準備が整うまで、よい土を作って水や肥料を与えて見守り、花を咲かせられる段階にきたら手放すことと同じ。

手放すということは、信頼がないとできないこと。

数年前、初めて本当に癒されたいと心から思って師と話をしたとき、師は同じことを言ってくれた。

種は植えたのだから、あとは水や肥料をやって、時期がこれば必ず咲くのだから大丈夫だよ、と。

その日から、本当にあたたかい師のまなざしの中で、水や肥料、時には陽の光をいっぱいいっぱいもらい、のびのびと育んでもらった。

そして、信頼して、突き放してくれたこともある。

今の職場の上司も、私が躓きかけていると一緒にその石をどけて環境を整え、咲くことができるようにと本当にあたたかいまなざしで見守ってくれている。

この話をしてくれた人も、いつもいつも絶対的な信をおいて見守り、励まし、勇気づけてくれる。

言葉ではない部分で、自分がどれほど与えられ、尊重され、本当の愛を受けとっているのかに気づき、涙が止まらない。

今は全面的に真の自己の意志力にまだコミットしきれない自分がいる。

それでも、今、わたしができることは、ただただ真実だけを見たいという方向へ自分の意志力を向けつづけること、そこに対して諦めないこと、毎瞬を自分の選択として責任をもつこと、そして、できなかったときにも責めないであたたかいまなざしを自分自身に向けること。

これだけだ。

これほどまでに周りにそうした姿を見せてもらえているのだから、もう一度選択し直したい。

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