2016年2月17日水曜日

何週間もどうしても進めることのできなかったレッスン64「わたしが自分の機能(はたらき)を忘れずにいられますように」の壁をようやく超えることができた。

同時に、静かな時間も少しずつもてるよう復活しはじめた。

どうしても今起こっていることを本当の意味で乗りこえたいから。

その想いと向き合ったとき、そして、自分の中で超えたいと思って手を伸ばそうとしはじめたとき、それはやっぱりひとりではできなくて、自分の人生の中に現れてくれた人と共に超えたいと感じている。

いつも独りよがりで自分のことしか考えられない自分がそう感じるということには驚きだけれど。

その願いと共に、ある人に連絡をとってみたら、ようやく向き合う勇気がでてきたという言葉と力強さを見せてもらい、すごく嬉しかった。

やっぱりひとりでは還れない。

今夜はようやく、自分の中の葛藤と静かに向き合う時間をとれた。

共通して見えてきたものは、身構えて守らなくては攻撃されるといつも責められることを恐れている自分、どちらが愛されているのかという愛を与えられるかどうかを恐れたり比較したりする自分。

「愛されているか」ということについては、一見すると人との関係におけるけれど、究極は神に対して発しているのだと思う。

どちらの方が愛されているのか、どちらの方がいいものをもらえるのか、どちらがよい人生を送れているのか。

仕事でもプライベートでも、脅え、葛藤している根っこはそこにある気がする。

だから、奇跡のコースでは、「特別性」という項目にあれほどページが割かれているのかもしれない。

いつもあたたかさと本当の気遣いをもたらしてくれる上司が大切にしていることは、「どんなことであれ、一旦は認めてあげること」。

どんな思いや葛藤や恐れ、向き合いたくないとか受け入れたくないという気持ちもまずは認めることから始めて、ゆだねていこうと思う。

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