2016年2月20日土曜日

誠実さ

今日の戸隠は、昨日とはまったく違う風景。

寒くて、いっぱい雪が降り、美しい幻想的な雪景色。

すごく嬉しかった。

戸隠に来ても、全面的に神に対して心を開けなかったり、真実に対して揺るぎなく手を伸ばそうという意志力をもてていない。

今朝、参拝しながら、少なくとも神様の前でよいこになることはやめたい、顔色を窺うことはやめたいと強く思った。

向かえないのなら向かえないこと、葛藤があるのなら葛藤があること、真実というものがわけがわからなくてもういやだと思っていること、それらを取り繕いたくないと感じている。

天八心思兼命さまの前で心から感じたことは、いついかなるときも、たとえ真実に手を伸ばせていなくても、ただ神の前でひたすらに誠実でありたい、そこに関してはぶれることなくそうありたいという思い。

今日は、一日、神の前でよい子であることをやめさせてください、自我はいけないものだと自分を裁いたり、こういう思考をしなければというものを外して過ごさせてください、どんなにダメな自分だと感じたとしても、ただあなたの懐の中で目一杯甘えさせてくださいと祈っていた。

なんとか辿り着いた火之御子社でも、わたしは今、自分の中に光や神の答えというものがあるのかどうしてもわからない、でもあなたに対して偽ったり取り繕うことはしたくない、そこだけは誠実でいたいとわきあがる。

去り際、すごく離れたくないという思い、さびしいという思いがわき起こり、なにかが自分の中で崩れて、ひたすら泣けて泣けて仕方がなかった。

いつもいつも思うけれど、戸隠の神々はやさしくて、包み込んでくれて、そっとさりげなく必ず導きを与えてくれる。

今、ものすごく苦しい。

でも、この地で過ごさせてもらい、足を止めて雪の静寂さに身を任せたとき、わたしはやっぱりもう目の前の現実を変えたいわけでも、人生を自我の視点からよきものとしたいわけでも、結果や証拠がほしいわけでもなく、本当の意味で救われたい、恐れることなく生きたいというのが心の奥底からの思いであることに気づいてしまった。

そして、なぜだかわからないけれども、それは自分だけひとりが救われたいとは思えなくて、どうしても兄弟とともに救われたいと思っている。

今のわたしにはそれはとてつもなく難しいことに思えたり、どうやっていいのかもまったくわからない。

でも、大切にしたいとは思う。

どこから再び始めるか迷っていたテキストも、第16章から始めることにした。

0 件のコメント:

コメントを投稿